2019.12.25

クリーニング職人の世界@田中クリーニング|田中さん

こどもの王国保育園の保育士である原田智広(ともくん)が、園周辺の地域に暮らす方々にインタビューを行っていく「こどもの王国 Local Stories」。

今回インタビューに伺ったのは、西池袋2丁目にある田中クリーニングの田中さん。

西池袋園の子ども達が行く上り屋敷公園までのお散歩道にあるこのお店。お店の前を通ると、子どもたちが窓からクリーニングのお仕事を覗き見させて頂くこともしばしば。

子どもたちが覗き込んでいると、いつも優しい笑顔で子どもたちに手を振ってくださる田中さんご夫婦。クリーニング屋さんは昔から親しみのあるお店ではありますが、そこで長年働く田中さん(以下、敬称略)にとって、クリーニング屋とはどんなお仕事なのか、奥さんにその想いを伺いました。


クリーニング屋という仕事

原田:こちらのクリーニング屋さんはいつから始まったのですか?

田中:昭和の26〜7年から、洗濯板でクリーニングが始まりました。

原田:今のクリーニング屋さんて、一般家庭には絶対ない機械があるじゃないですか。だから商売が成り立つのはよくわかるんですが、洗濯板はどの家庭にもあったかと思います。それでクリーニング屋として商売ができるっていうのは何故なんですか?

田中:同じ洗濯板であっても、洗う技術は持ってるプロでしたからね。自分の腕一つで商売をしていますから、職人さんの中でもクリーニング屋さんっていうのはすごいプライドが高いです。クリーニングはその人の腕によって綺麗にアイロンをかけられるか、やっぱり腕なんです。

原田:恥ずかしながらその世界を知りませんでした。クリーニング屋さんて専門的な機械とか洗剤が違うだけなのかなって思ってました。

以前、お豆腐屋さんに、商店街のお店が時代と共に続々となくなってしまったという話を聞きました。その中でもお豆腐屋さんは、仕入れずに自分のお店で商品を作っている点、つまりここにしかないものが売っているということが、お肉屋さんや魚屋さんなど潰れてしまったお店とは違う点だと。そして今回話を聞いて、このクリーニング屋さんも戦前からという長い間続いているところで、この店ならではの技術を売りにしているという点が共通している気がします。


田中:結局はクリーニング屋でも大手でやってるところはほとんど機械ですよね。ですから、職人さんの技術っていうのは活かされないです。うちの主人はとにかく潔癖症なんですよ。

原田:クリーニング屋さんにぴったりですね。笑

田中:シミがあるままお客さんに渡すのがどうしても許せない。自分ではどうにもならないとなると、染抜き専門のところに頼みます。素材によって専門があるんですよ。溶剤とか工程も違うんです。

ですから着物なんかもね、洗えないこともないし、仕上げもできるんですが、染抜きってことになると、下手に溶剤使うとそれがシミになっちゃうんです。今お預かりしている着物もシミだらけでしたけど、綺麗になって戻ってきました。専門の職人さんに頼むと本当に新品になって返って来ますよ。


職人としてのこだわり

原田:クリーニング屋さんも結構奥が深いんですね。

田中:本当に今日明日できるっていう仕事ではないですね。ワイシャツのアイロンかけ方、畳み方にも工程があるんです。工程が違うとシワができちゃうんですね。

原田:細かい仕事なんですね。

田中:朝、会社に行く時に、ワイシャツのボタンが取れてたらそのワイシャツは着れないので、最低ボタンがほつれがないか主人がチェックするので、私がボタンつけたり、ほつれを直したりします。開けてそのワイシャツが着れないとがっかりしますよね。

綻びとかやってない方もいらっしゃいますから。だから最低ご主人様が朝ワイシャツを着てくとかズボンを履いて行くときにボタンがない、ほつれてるってのは直してあげるようにしています、

原田:思いやりですね。

田中:そこまでが最低のサービスだと思ってます。

原田:こっちからすると期待以上のサービスが受けられる気分ですね。綺麗になればいいのにボタンまで。

田中:主人も私もプライドを持ってこの仕事をしています。
人に売ったりするお店なんかはまた違ったものがあるでしょうけど、汚れたものを扱って、綺麗にして返さなきゃいけないってのがありますから神経使います。

原田:嫁入りでこちらにいらっしゃったと伺いましたが、クリーニング屋さんに来るにあたって何か思ったことはありますか?

田中:私が嫁入りする時、主人がクリーニングの店は手伝わなくていいってことだったんです。料理さえ作ってくれればいいってことだったので、私もそう思っていたんです。ところが、仕事が多くてやりきれない時、職人さんがいない日はアイロンが空いてたので、「よし、じゃあやってみるか」って。笑 そしたら父がそんなの覚えたら一生やらなきゃいけないぞ、覚えなくていいんだよって言うんです。私ね、気が強いので、「いえ、絶対やる!男に出来て女に出来ないわけない!」って。笑

すると、父に「仕上げ上手くなったな。でもそれで仕事のあてにされちゃうぞ。」って言われましたが、でもゆくゆくは、おじいちゃんとおばあちゃんがいなくなったら私たちがやらなきゃいけないんだし、早かれ遅かれやらなきゃいけないから仕事覚えられてよかったって。いつまでも父が生きてるわけでもないし。86歳で亡くなりましたが、85歳くらいまでは仕事してました。仕事がなくなったらゴミ出しだとか、掃除とか綺麗好きな人でしたので。頑固なおじいちゃんで仕事に関しては厳しかったですけど、日常は布袋様みたい顔でした。温和な顔でね。

原田:お父様も素敵な職人さんだったのですね。そこまで真剣になれるクリーニングという仕事のやりがいはなんなのでしょう?

田中:もともと、主人の兄がここをつぐ予定だったんです。でもどうも俺は性分に合わないと。俺はサラリーマンになるって公務員になりました。主人はその時にもう大学決まっていたのに、それを断念して「俺が継ぐ。」って。「俺にはこの仕事しかできないから。」って主人は言いますね。

原田:責任感の強い方ですね。

田中:アイロンかけて手を動かさなきゃ仕事にならないわけですから。預かったらお客さんが了解しなきゃお金にならないわけですからね。ぼーっとしてらんないですよね。


田中さんの子どもへの思い

原田:話は変わりますが、僕たちがお散歩している時に、すごく優しく微笑んで手を振ってくださるじゃないですか。子ども達にとても優しいイメージがあるのですが、田中さん自身の子育てで大切にされてたことはありましたか?

田中:自分が忙しくしてまして、子どもを公園に連れて遊びに連れてったって記憶がまるでないんですよ。日曜日におやすみじゃなかったんです。1年中お店空いてましたから。朝7時に開けて、夜9時まで営業していました。

長女が小学校2〜3年の時かな、「お母さん、日曜日によそはどこかに遊びに行くよ。」と。「うちはどうして連れてってくれないの?」って。そこで、「日曜日を休みにしよう。」と、主人と主人の父に言ったら、最初は反対だったんです。お客様に不自由かけるから休まないって言われたんですけど。でも、主人が頑張ってくれて、「子ども達をいろんなところに連れてってあげたいから、1週間に一回休みにしようよ。」って説得してくれました。

原田:結果的に日曜日を休みにして、家族や子ども達に変化はありましたか?

田中:いざ休みにすると、反対してた父も母も日曜日が待ち遠しかったみたいです。色んなところに連れて行きました。「次はどこ行く?」って。笑

原田:娘さんの声を受け止めた素敵な変化ですね。

田中:なので、自分のこどもがいた時は忙しくて、孫が出来て初めて子どもの可愛さに気づきました。だからうちの孫も2歳半で保育園に行ってるので、もうお散歩で会うこども達は同じですよ!自分の孫のようで。もうね、本当に抱っこしたいんですけど、そうすると怪しいおばさんになるので。笑 可愛いですよね。

お散歩で見かけると、「この子達も、ちゃんと育ってほしいな。」って思いながら見てます。だから必然的に笑顔になりますね。可愛い顔してバイバイしてくれると、嬉しくなっちゃいます。

原田:その気持ちは子ども達にも伝わっていると思います。いつもありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い致します!